こんにちは!こうへいです☆
今日も少しでも成長して、1日を楽しめましたでしょうか?
少しでも人生を楽しんでいきましょう☆
朝の行動&モヤモヤ思考
朝の行動
今日も5時前に起床☆
昨日はめちゃくちゃゆっくりできなので、今日は調子良さそう☆
瞑想、Twitter投稿して、読書からスタート。
今日も考えさせられる良い本に出会えそうです☆またブログで投稿しますね👍
モヤモヤ思考
雨か~、今日もだらだらするか?
今日はいっぱい寝たからいける!
勉強とか色々やろう👍
やりたい事、あるんやろ!!!
よし!
今日の運動
今日もオフ。
今週はあまり走らず、ゆっくりします。
思った以上に疲労がたまってます( 一一)
ランニング記録
『なし』
最近読んだ本
タイトル:人生の授業(後半)
著者:萩野 弘之さん(漫画:かおり&ゆかりさん)
紹介本の表紙
この本を読んで、もっともっと人生の本質を掴みたいと思います!(^^)!
では、いきましょう!
・死を眼前に置きなさい。
・負の感情をつくりだす、無意識の判断。
・他人に対しては正しい判断ができる。
・目の前の快楽より、日々の小さな苦労。
・自分自身にそう思われるだけでよい。それで十分である。
【ポイント詳細】
①『死』を眼前に置きなさい。
メメント・モリ:「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味。
人間いつか死ぬ事。それ自体は避けられない。
しかも、それがいつやって来るかも厳密にはわからない。
人間である以上、誰にとってもは死は、『自分次第のもの』ではないのだ。
※不老不死は今の所、実現していない。
我々は死を乗り越えるという以前に、「自分が死ぬこと」を体験する事もできない。
対極にある、「生まれること」の体験も対象にならない。
自身の死は決して体験できない以上、死はいつまでたっても「可能性」としか感じられない。
自分の死は自分でどうする事もできないが、、、
自分が死をどう考えるか、死に対する態度の取り方は自分で制御できる。
いつか自分は必ず死に、消え去るのだと想えば、いたずらに欲求に振り回される事はない。
【自分自身と向き合う】
本当の幸せとは何か?
自分が人生で成し遂げたい信念は何なのか?
※死を眼前に置くことで大切なものが見えてくる。
死を意識する。
自暴自棄になる人もいるかもしれないが、
強く意識する事で、自分の使命を自覚し、良心に目覚め、生きる意味を問う
②負の感情をつくり出す、無意識の「判断」
「怒り」や「悲しみ」などの感情は、自身が持つ感情でありながらコントロールする事が難しい。
悪口を言われて、怒りが収まらない。失恋して元気が出ないなど。
しかし、こうした感情の手前には、判断があるという。
例
いきなり突飛ばしたりされると、理不尽な暴力と判断して誰しもが怒りを発する。
しかし、これが危険を避ける為にやむなく突飛ばしたという理由があれば、怒りが収まる。
要は、、、
負の感情とは自分でも意識しないままに、『自らの判断』がつくり出している。
これを改善する為には、
現在の自分の視点からの見かけを絶対視せず、
他にも別の見方があるかもしれないと想像し、検討する事。
多様な視点に思い至る想像力こそが、怒りを制御し、他者に対して寛容な姿勢を育む事になる。
感情に溺れる事は、他人が悪いように見えて、自分の凝り固まった判断から逃れられない事であり、自らのストレスの種をまき散らしている事でもある。
③他人に対しては正しい判断ができる(自分の事になるとできなくなる)
君の杯が壊れた時にも、他人の杯が壊れた時と同じ態度を取らなければならない。
※他人事のように、自分事を捉えよ。
友人や知人の愚痴を耳にして、そこまで「気にしなくても」と思った事はないでしょうか?
私はめちゃくちゃあります。
どんなに悲惨で深刻な状況であっても、その事柄を第三者の立場で冷静に眺めている限り、
感情に引っ張られる事はあまりない。
しかし、当事者になると対応は一変する。本当に不思議です( 一一)
これは自分が当事者になると、一時的に視野が凍り付いてしまい動かせなくなるからだ。
※今の自分の視点からしか世界が見えなくなってします。
なぜ他人の不幸と同じように、自分の不幸と向き合えないの?(めちゃくちゃ難しいですよね。)
どうすれば実践にいかせるだろうか?
出発点は、自分に関する出来事をできるだけ他人事のように捉えてみる事だ。
自分事として考えよとよく言われるが、時には逆方向から考えると、自己を客観視する良いトレーニングになるかもしれない。
④目の前の快楽より、日々の小さな苦労
悪しき感情 → 「恐怖」、「苦痛」、「欲望」、「快楽」の4つに分類。
理想の境地は、「行き過ぎた感情に流されずに、自分を見失わない事」
快楽は良い感情では?(私も思いました。)
快楽を遠ざけるのは、快楽にふけるせいで『自分の進むべき進路』に狂いが生じるから。
その為に、楽しいからといって即座にそれを享受してはだめ。
一度立ち止まり、あえて対象と距離感を保つ冷静な態度が求められる。
例
美味しいものばかり食べて運動不足では、体重増加し、やがて健康を害する。
※快楽はそればかり追うと、かえって爽籟により大きな苦痛を背負い込んでしまう。
さらに自分自身でもそれをわかっていながら、つい見て見ぬふりをしてします。
めちゃくちゃ耳が痛いです( 一一)
だからこそ、、、
現在の小さな苦痛を選択する事が、将来における大きな苦痛を回避する!
目標を決め、少しずつ努力し、できたという達成感は、大きな自信を生み出す事になる。
反対に、快楽に流されてやるべき事ができなかった場合は、後悔につながる。
この後悔、何度もありますね。。
⑤自分自身にそう思われるだけでよい。それで十分である。
皆様、自分の意志に目隠しをして、他人の意志にばかり目がいってないでしょうか?
(自分も他人の目を意識している事が多々あります。)
なぜ、本来自由であるものを、わざわざ自分で不自由にしてしまうのだろう?
今、自分の目の前に2つの途(みち)があったとしよう。
1つは「自分の意志」に沿って歩んでいく途。
もう1つは「他人の意志」に合わせて歩んでいく途。
どちらを選びますか?ほとんどの人が「自分の意志の途」を選ぶかと思います☆
ですが、実際の日々の中で、きちんと自分の意志の途を選べているでしょうか?
過度な商人欲求が、我々を奴隷に仕立てあげる
誰だって自分の好きな相手や友人には気に入られたいと思っている。人を愛するのは自分次第。
しかし、人から愛されるのはそうはいかない。
自分が好きだろうが相手から同じように好かれるかは限らない。
色々な場面でも、愛されたい、好かれたい、気に入られたい、という願いがある。
これを『承認欲求』という。自分もめちゃくちゃあります。
これは自然な人間の欲求。しかし、これが叶えられない時、、、
人は悲しんだり、諦めたり、挫折を味わったり、、、人生の冷厳の現実を思い知らされる。
そして、この欲求が強すぎる時。
何としてでも気に入られたいと願う瞬間、人は奴隷になり行動原理を他者に握られる。
→個性を押し殺した、「特性のない人」になってします。
だからこそ、他人からではなく、『自分自身にそう思われればよい』のだ!
他人の評判を気にするあまり自分を見失う事なく、真の自由でいられるように。
【その他良かったフレーズ(補足など)】
・感情の奴隷から脱する
人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である。
→「あいつのせいで」「不遇な環境のせいで」といった具合に、人間関係や置かれた環境を恨む。
しかし、事物や出来事はそれ自体に善悪はなく、人間を苦しめるものではない。
それをどういった性質の事態として考えるか、その価値判断を下すのは自分の考え方次第。
例:「怖い森」という言い方がある。
人影もなく昼でも暗く、鬱蒼(うっそう)とした森は足を踏みいれる人に対して恐怖を抱かせる。
しかし、よく考えてみると、「怖い」と感じるのは当人の主観。
森自体に怖いという性質が初めから備わっているわけではない。
いったん感情に囚われてしますと、危険でないものにも恐怖を感じてします。
反対に、悪い意味で慣れると本来恐れるべきものに対しても鈍感になってします。
・不安や悲しみから脱却する道
「自分がどういう考え方をしているか?」という徹底した自己反省に求められる。
・大事な人や物、そして自分自身ですら、いつか消え去ってしまう。
→この事を想像するだけで、それらとの向き合い方は変わってくる。
・何ごとに際しても「私はそれを失ってしまった」とは決して言うな。
→「失った」のではなく「神から与えられていたものを返した」
→所有しているものは自分お外側にあるものだから、いつかは失うもの。
・事前の心構えで、人生の「不快」は大きく減る。
ある行為を選べば、どのような不愉快な目にある事になるか、あらかじめ思い浮かべる。
→あらかじめ覚悟していれば、我慢する事も容易になる。
予想通りと思えばしめたもの。その心の余裕が自己の成長の糧となる。
・どんな人や物事にも善い面も悪い面もある。
→偏った先入観で見てる限り、いつまでも思い悩むのは自分自身。
※偏った先入観が人間関係の悩みを長引かせる。(一部始終を見てるわけではない)
→先入観を捨て相手とお互いの関係をじっくりと理解しているよう努めているか?と問う。
・他人がどういう思いでその行動にいたったかを知らないで、善悪を判断する事はできない。
自分とは違った流儀で、他人の行動を不愉快にみがち。
すべての行為に対して、行為者本人が何を意図していたか『動機や目的』を理解して判断しているのか。表面だけ、その意図を見抜かず判断していないか?(当てはまります。)
※事実を把握する所で立ち止まれ。そこから先の善悪の価値判断を下すには慎重であれ。
・「不公平」など、実はこの世に存在しない。
→今の状況は先行する自分の働きかけ次第。基本的には行為や恩義の相互交換が行われている。
※自分が他の人と違う状況でないのは、その人と同じような行動をとっていないからである。
・自分が不幸の場合、そのことの原因となった他人を批判する事は、無教養な者のする事。自分自身を非難するのは教養の初心者のする事。
※他人をも自分をも非難しないのが、教養のできた者のする事である。
もっとも幼稚なのは、他人を非難する事。(まだまだ非難する事があります。)
・人間とは自分の驕りや先入観、偏見には気付きにくいもの。
それらがあると物事を正しく認識できなくなる。自然と自分の心に注意を向けれるようになる。
・自己欺瞞:自分で自分の心を欺く事。自分の良心に反する言動をする事。
簡単にいうと、自分に都合の良い解釈をする事。
→自己欺瞞に陥らないように、自分自身にこそ警戒の目を光らせる。(めちゃくちゃ必要)
※自分がくだした評価が、どういう根拠にもとづいているか。
そこに先入観や偏見が入り込んでいないかと顧みる。
・年収や財産を自慢するなんて、勘違いもはなはだしい。
所有しているのは「自分だ」と勘違いしてはいけない。
『自分自身が持っているもの = 自分自身とは切り離せないもの』
それは、「心像」を正しく用いるという能力。
自分の心や意識の働きが適切かどうか判断する事。つまり自己欺瞞に陥らない事。
これが自分でどうにかできる唯一にして最後の拠点☆
・あらゆる関心は自分の心に向けるべき
・快楽は手短に。心への関心を手厚く。
・無知だとか愚かだと思われても、あえてそれに甘んじていなさい。(頭でっかちにならない。)
「賢いと思われたい」という欲望こそが、かえって人を盲目にしてしまう。
→心の内側ではなく、心の外側の出来事ばかりに夢中になってしまう。
※真の成長は、いたずらに知識を増やす事ではなく、自身を省みる事で実現する。
・困難こそ自分が持つ能力を見つめ直す機会となる。
困難な事態に対処するめに、自分がどんな能力を持っているか探しだす。
→困難こそが人を成長させる。困難を受け止めた上で、自分には何ができるかを点検する。
・いかにして自由人以上に真の意味での自由でいられるか。
・常日頃から自分の感情を、あたかも第三者のような目で観察する習慣を身につける。
・どんな環境や立場に置かれるかは、すべて神次第(自分ではコントロールできない。)
→神の仕事はここまで。与えられた場でどのように生きるかは『自分次第』
・自分自身は演劇の俳優である。
人生=舞台という一定の制約の中で、自分の手で変える事のできるものは何か?
その反対に受け入れなければならないものは何か?
※その境界を正しく見極める事が、自分らしく生き抜くという事。
【個人的にまずはじめてみる事(3つ)】
・感情の奴隷から脱する。全て自分の捉え方、考え方次第。
・目の前の快楽に捉われず、日々の小さな努力(苦悩)をし、少しずつ成長する。
・未来の自分に良かったと思うわれる行動を取る。(未来の後悔をしない)
他は何やったの?
本日はがっつりキャリアコンサルタントの資格勉強をしました!
難しかったですが、新しい事ばかりで少し成長できた気がします☆
本当に自分が無知過ぎて面白いですが、まだまだ成長できるという事で、
毎日少しずつ成長していきたいと思います☆
1日1%でも成長したら、1年後には約37.8倍。
複利の効果を活かして、成長しつづけます!(^^)!
こんなこんなで、ランニング(ウォーキング)×読書をベースに、
自分の中で大切な後1つのピースを探す為、少しずつ行動しております!よくだらけます(*_*)
本日はこのへんで。
バイバーイ
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